ダメ親のすすめ 第7回

第7回:知育

うまく行かなくて当たり前、テキトーなくらいがちょうどいい。だって目標設定が異常すぎるんだもの。
育児のハードルを下げて少子化対策に寄与したい生き生き子育てブログ「ダメ親のすすめ」、第7回で取り上げるのはこの言葉

「知育」

です。いやもう聞くだけで嫌な匂いがプンプンしますねこの言葉。

一つ注意しなければならないのは、この「知育」という言葉、もともとは19世紀の社会学者H.スペンサーが主張した「知育・体育・徳育」という言葉から来ている普通の教育用語です。「考える力・身体・道徳心の3つを育てるのが教育の基本である」という考え方です。

でも、いま見かける「知育」という言葉の一部は、明らかにこの本来の意味ではなく、見事にズレた意味で使われていますね。例えば

「知育 天才」
「知育 IQ」

という検索ワードでひっかかってくるような代物になると、まぁどれもこれも欠かさずひどい。今回私が取り上げたいのは、このズレた意味のほうの「知育」です。

この手の「知育」を煽る代物の常套手段は大体決まっていて、まずシナプスの連携やら右脳・左脳の発達やらといった脳科学の理論を持ち出して、なにやら信憑性が高そうなイメージを植えつけた上で

「人間は3歳までで脳の大部分が作られる。だから3歳までにやっておきたいこと」

という言葉でとどめを刺すんですね。
そんな事言われたら、そりゃ親は焦りますわな。最初のたった3年間でその後の子供の80年近い人生が決まるかも!?って脅されたら、うわぁ3年しかない!一日たりとも無駄にできない!さぁ一体何やればいいんだ、教えてくれ先生!?ってなりますよ。彼らは意図的にそれを狙ってるんですね。ホントきったねえ手口だと思います。対応は「うっせえ黙れ!」でいいと思います。

でも、世の中にはこの手の「IQを高めて天才を育てる知育」を受けている子供達が確かに存在しています。今こうしている間にも、愛するわが子と特別な教育を受けたスーパーキッズ達の間には教育の違いによる差が着々と開いていって、小学校に入る頃には挽回できない程になってしまっているかもしれません。どうしよう!?

・・・えー。
そういう親の焦りは子供に伝染します。

そういう時に子供が残酷なほど冷徹な目で見ているのは、「IQを高める教育をほどこす素晴らしい親」の背中ではありません。「情報に踊らされ、IQを高めなきゃいかん!という謎の使命感に駆られ焦っているフワフワした親」の背中です。
そういう背中は子供の情操の一番根元の部分に確実に刷り込まれて、知能なんかよりももっと重要な部分に影響を及ぼします。まぁ一杯飲んで落ち着きましょう。

さて、じゃぁ子供の知能って、そういう特別な教育を施さないと育たないものなんでしょうか?
比較的冷静な知育本や記事をいくつか読んでみると、3歳までの子供の知能を育てる方法なんて、書いてる事はどこも大体一緒です。要点を一言でまとめると

「話しかけろ、刺激与えろ、スキンシップしろ。」

です。これをさらにもっと一言で「もののけ姫」風にまとめれば、

「かまえ。」

ですね。脳科学とか持ち出して難しそうに「知育」って言ってますが、結局は「刺激をたくさん与えるほど脳は成長するから、たくさん刺激を与えなさい」と言っているだけです。IQを高める天才児教育の宣伝文句を読んでもこの部分の考え方は一緒で、要はあの手この手で刺激を与えているだけ。何か特別な事をやっているわけではありません。

じゃぁ、その「刺激」って何かっていうと、書いてあるのは積み木やったり絵本読んだり散歩行ったり、そんなの言われなくても毎日やってんじゃん、っていう当たり前の事ばかりなんですよ。特に、人間にとって何よりの刺激は「他人と話す事」なので、幼児が話しかけてくる話を辛抱強く聞いて感想を返してあげるの が知育にとって一番効果的なことのようです。

なんだ、そんな事でいいんだったらお金払って教室行く必要なんてないじゃん!
ただ構ってやればいいんだ。そうすりゃ息子が天才児になるかもしれないんだな。よーし。

・・・で、そこで私は「ウッ!」となりました。
何だかんだ言ってこの「子供をかまう」というのが大人にとって一番の苦行なんですよ。

幼児の話って「ヤマ無し、オチ無し、意味無し」のクソつまんない事実の羅列と、しょーもない成果を誇る自慢話しかないし、遊ぶ時も一緒に楽しむんじゃなくて、ひたすら自分が楽しい事しかしないから、つき合わされるこっちは単なる「作業」になります。
しかも子供って表情には敏感なので、テンション低くつまんなそうにしていると「なんでお前一緒にやらないんだよ」と怒り出すので始終楽しそうな演技をしてないといけない。当然、その間はつきっきりだから家事も趣味も一切進まない。
この、子供と遊ぶ時間と気力を確保するのに非常に苦労するんですね。

てなわけで私は、「知育」なんて結局は「親の時間と気力の余裕作り」なんだと思っています。

時間と気力に余裕がある

より多く子供を構うことができる

子供の能力が育つ

というサイクル。
で、時間と気力に余裕を持たせようと思ったら、母親への過重な負担をやめて父親や周囲の人々が育児や家事の作業を分担する必要があるし、母親が子供と離れて気分を切り替える時間を定期的に作る必要がある。つまりこれって、問われているのはその家族の「育児の総合力」なんですね。
お金を払って特別な教育を施すといった小手先よりもまず、育児にまつわる労働負担のミスマッチを議論して、みんなで平等に分担して一人ひとりの余裕を作れよって話です。

あと大事なのは、周囲が親に対して「子供の教育のために○○しろ」だのといった、アホなプレッシャーをかけない事ですね。親もそういうアホなプレッシャーを聞き流す技術を身につける事です。で、今までの話を総合すると、皮肉な事ですが

「知育」などには無頓着で、ただ純粋に子供と遊んでる頻度が多い人が、実は最も子供の能力を高めている。

ってことになるんですね。バックアップ体制がきちんとできていて、子供と遊ぶ心の余裕ができれば、特に焦って「知育」とやらを施さなくても子供の能力は勝手に伸びるというのが私の信念です。
そう考える私にしてみたら、「知育」という言葉とそれに関連する様々な言説は、親に無言の圧力を与えて心の余裕を無くさせ、子供の教育に対して完全な逆効果になっているとしか思えないんです。

もちろん私は幼児教育の専門家でも何でもないので、この説が絶対に正しいなどとは決して思っていないのですが、少なくとも私が責任を持てる私の子供たちの教育に対しては、こういう気持ちでやっていきたいと思っています。

次回予告:「番外編:なのになぜあなたは子供を作ったの」

このブログ、育児を取り巻く環境に対する不満や批判だらけの内容なので、偶然これを目にした若い独身の方々が、「うわぁ・・・こんななるんだったら私子供いらないや・・・」なんて思ってしまうのではないかと、ふと心配になってきました。

てなわけで次回は番外編。
こんだけ不満タラタラで、育児大変だ苦しいとぼやいてばかりの私ですが、じゃぁ子供が居るのと居ないのとで、どっちが良かった?って聞かれると断然「子供が居てよかった」って思います。これは「いい親の演技」でそう言ってるんじゃない。本音です。
じゃぁ、なんで子供が居てよかったと思うの?真性のドMだから?

違いますね。
当てはまらない方もたくさん居るというのは承知した上で、大いに語弊はあるけど敢えて乱暴に言い切ってしまうと、

人間は30過ぎる頃から自然に、何となく子供が欲しくなるようになる。

そういうもんなんです。
これは人間の本能がそうさせてるんじゃなくて、人間の理性が冷静にそう思わせていると私は思っています。
なぜ私がそんな考えに至ったのか、その経緯について次回ご説明したいと思います。

次回:「番外編 なのになぜあなたは子供を作ったの

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