
執筆のきっかけ
私は2020年に『あの日、松の廊下で』で文芸社様の歴史文芸賞で大賞を頂いて商業デビューしたのですが、それまで4年間ほどは様々な小説新人賞に応募しつつ、小説投稿サイトでも小説を発表していました。
本作の原型は、その頃の2018年に書いた、『左甚五郎異聞 椿説 竹の水仙』という小説です。これをエブリスタ様に投稿してみたところ、ありがたいことに編集部様の目に留まり、編集部のピックアップ作品としてご紹介いただきました。さまざまな賞で落選を続けていた当時の自分にとって、このことがどれだけ自信になったことか。ただ、甚五郎に関する設定は作り込んでいたものの、この時は3話まで書いたところで煮詰まって放置しています。
その後、2024年に発売した『実は、拙者は。』が予想以上の大好評を頂いたので、次はフィクションの時代小説にも挑戦してみようと私は考えたわけですが、何を書こうかと考えた時にまっさきに頭に浮かんだのが、未完のまま放り投げていたこの小説でした。それで、ずっと昔の原稿を引っぱり出して1、2話目をさらに洗練させ、3話目以降を新たに書き足し、タイトルもわかりやすく変えて完成させたのが本作になります。
小ネタ
甚五郎のエピソードには、ロバート・ジョンソンとモネという2つの元ネタがあります。
ロバート・ジョンソンは戦前に活躍したブルースの伝説的ミュージシャンで、つねづね「俺は悪魔に魂を売って、代わりに超人的なギターの腕前を手に入れたんだ」と語っていたといいます。
彼自身が語ったところによると、彼がミシシッピ州の片田舎の町クラークスデイルの十字路を通りがかった時に、悪魔が取引を持ちかけてきたそうです。ただ、その悪魔の呪いなのか、ロバート・ジョンソンは27歳の若さで、女性関係の怨みで何者かに毒を盛られて殺されています。彼が残したすべての音源は現在もCDとして普通に売られていますので、ご興味があれば聴いてみてください。
甚五郎が蔵前の四つ辻を通りかかった時に、弁天様の像を彫る代わりに彫り物に命を宿す秘法を授かるという取引をしますが、この設定はこの「クロスロード(十字路)の伝説」が元ネタです。クラークスデイル=蔵前、クロスロード=四つ辻です。
それから、甚五郎が死の間際の美弥の木像を彫るというエピソードがありますが、印象派の画家クロード・モネが、まさにこれと同じことをやっています。
モネにはズバリ「死の床のカミーユ」という作品があるのですが、これは本当に、モネの妻カミーユが病気で亡くなった時に、死の直前のカミーユの姿を描いたという絵です。ぜひ作品名で検索して見てみてください。 モネはこの「死の床のカミーユ」を描いた後、作品の中で女性の表情をほとんど描かなくなるので、彼の画家としてのキャリアの中でも転換点となる、非常に重要な絵だといえます。
私は、フランス出張の際に空き時間にたまたま一人でオルセー美術館に行くことができて、この「死の床のカミーユ」を見たのですが、あまりの衝撃で、15分くらいこの絵の前から離れられませんでした。
この絵、衣服の裾のほうはもう筆を叩きつけるような荒れまくった筆致で、それがめちゃくちゃ痛々しいんですよ。――なんでまた、モネは愛する妻の死にゆく姿の絵なんかを描いたんだろう。その時はどんな心境だったんだろう――って、自分がモネになったつもりで想像していたらだんだん悲しくなってきてしまって、私は比喩ではなく本当にこの絵の前で涙を流して泣きました。(同行者がいなくてよかった)その経験が、甚五郎が美弥の像を彫っている時の描写に生かされています。
あと「一度死んだ女房を捜し出して、もう一度殺す」というコンセプトは、筋肉少女帯の『再殺部隊』という歌をヒントにしています。こうやって元ネタを挙げてみると、私のオリジナルの発想なんて実はほとんどなくて、私はただ、偉大な先人の肩の上に乗って小説を書かせて頂いているだけですね。
裏話
私はこれまでに小説の書き方の本を何冊か読んでみたのですが、どれも全然ピンとこなくて、それよりも漫画の描き方の本のほうが、自分にとってはずっと納得できて参考になりました。
漫画の描き方の本では、誰もが口を揃えて「漫画で一番大事なのはキャラクター」「魅力的なキャラクターを作れ」と力説しています。そこで私はこのアドバイスに沿って、「弁天様の秘術を使って彫った物に命を吹き込む片腕の男」という左甚五郎の設定を作り、甚五郎を自由に動かすことでストーリーを作っていきました。この方式は後に『画狂老人卍』でも使いました。
そんな経緯で作られた小説なので、甚五郎のキャラ造形はかなり漫画を意識しています。隻腕のキャラは『ONE PIECE』にも『BLEACH』にも『鋼の錬金術師』にも出てきますし、特定の条件で発動する特殊能力で敵と戦う主人公というのは、完全に少年マンガの文法ですね。
てなわけで本作、どこかの漫画レーベルがコミカライズしてくれないかなぁと願っております。
