執筆のきっかけ
私は文芸社様の歴史文芸賞の最優秀賞を受賞してデビューし、以来ずっと文芸社から本を出し続けてきましたが、私の小説を読んだ双葉社の担当編集様からお声がけを頂き、初めて文芸社以外で書くことになったのが本作です。
これまで文芸社様と書いてきたのは史実をベースとした歴史小説でしたが、双葉社様と書く時は新機軸を出してみようということで、フィクションの時代小説にすることを最初に決めました。
それで何度もネタ出しをして、編集者様と二人三脚で作り上げたのが本作です。それまで私は、自分一人で全部を書き上げ、完成したものに編集者様からご指摘を頂いて直していくというスタイルで書いていたので、プロット段階から打ち合わせをして、他人と一緒に構想を練るという未経験のやり方は大変勉強になりました。
裏話
デビュー後はずっと史実ベースの歴史小説ばかり書いていたので、何年かぶりにフィクションを書いてみて、一番げっそりしたのは名前を考える面倒くささでした。歴史小説にも歴史小説特有の難しさはあるものの、登場人物が全部実在しているので名前を考えなくてもいいのは本当に歴史小説の楽なところだと思います。
そんなわけで、七転八倒しつつ何とかひねり出した、登場人物たちの名前の由来をここでご紹介します。
【八五郎】
これは実は、私が人生で初めて書いた小説の主人公の名前です。
正直言って恥ずかしくて消し去りたい黒歴史なのですが、私は小学四年生の時に人生初の小説(時代物)を書いてまして、それの主人公が「八五郎」と「権助」でした。(しかも、シリーズもの形式で何作か書いてる)
今回、作中で間抜けな町人を登場させるにあたり、ちょっとした感慨も込めて、人生で初めて作ったその登場人物の名を冠してみました。
【雲井源次郎/出雲忠左衛門】
ふらふらと当てもなく生きるイメージから「雲井」という苗字を選び、カッコよさそうな下の名前として真田幸村の通称「源次郎」を拝借しました。
その上で、「雲井」に似た由緒ありげな苗字として「出雲」を選び、忠誠心の強い人間であることを示すために「忠左衛門」という名をつけています。
ちなみに主君の青山勘解由は非業の死を遂げる人物なので、「人生至るところ青山あり」からこの苗字にしています。漢詩などに登場する「青山」には死のイメージや墓地のイメージがあると漢詩の本で読んだことがあり、そこからの連想による命名です。
【村上典膳】
小野派一刀流の開祖の小野忠明が、まだ伊藤一刀斎の弟子だった頃に名乗っていた名前が「御子神典膳」でして、その響きがカッコいいなーと思ってたので、それをもじっています。「御子神」っぽい響きの別の苗字を探した結果「村上」を選びました。拝借したのは名前だけで、典膳の人物造形は完全に私のオリジナルであり、別に小野忠明をイメージしたわけではありません。
【浜乃/夕凪の真砂】
南総里見八犬伝に出てくる「浜路」という娘の名前が可愛くていいなーと思っていて、それに似た町娘っぽい名前として「浜乃」を思いつきました。
その後、石川五右衛門の辞世の句「石川の浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」がパッと頭に浮かんできて、ああ、それじゃ裏の名前は「真砂」にしようと決めました。
石川五右衛門の歌ですから、本当は忍者ではなく女盗賊の名前として使うべきなんでしょうが、まあ忍者も女盗賊も忍び込むという点で似たようなもんだからまあいいや、と深く考えずに決めております。
なお「夕凪」という二つ名のほうは完全に私の都合で生まれています。
物語の展開上、彼女には源次郎と典膳の刀を同時に受け止めてもらわねばならなかったわけですが、でもそれってかなりご都合主義的だよなぁと思った結果「じゃあ、真砂はあらゆる攻撃を受け止める名人にしてしまおう」となったわけです。
そんなわけで、実に勝手なストーリー上の都合から彼女の戦闘スタイルが逆算によって決まり、それに合った二つ名として考えたのが「夕凪」でした。
【藤四郎】
玄人の忍者であるのを隠しているので「トーシロー(素人)」です。
【蓼井氏宗と小清河為兼】
「ラブコメのヒロインの苗字が、知り合いの汚いオッサンや嫌いな奴の名前とかぶったせいで心から楽しめない」「悪役が自分と同じ名字で、なんか読んでて複雑」といった悲劇を避けるため、「ヒロインと悪役はできるだけ珍しい苗字と名前にすべきである」というのが私の信条です。
特に、本作の悪役どもは本当に救いのない真っ黒な悪なので、ネットで検索して、同姓の人が存在しない架空の苗字であることを確認しています。蓼井は見るからに悪役と分かるように、小清河は一見美しそうに見えるけど、正体を知ったあとでは小悪党に見えるような名前を選びました。氏宗は「蛆虫」、為兼は「金のため」です。
小ネタ
166ページで八五郎が「永代橋のあたりを最近うろついてる薄汚い托鉢僧が実は弘法大師の生まれ変わりだったとか、そんな話があっても俺は絶対に驚かねえぞ」と独り言をつぶやきますが、これは私が大好きな落語の演目「竹の水仙」(三遊亭圓歌師匠の噺が最高なのでぜひ探してみてください)のオチです。
本当はその前のセリフも「竹の水仙」ネタで揃えて「近所の旅籠に泊まってる酔っぱらいが左甚五郎だったとか、」にしたかったのですが、いきなり左甚五郎と言われても読者が戸惑うし、宿場町でもない深川に旅籠はないので諦めております。
あと、19ページに「安普請の長屋の板壁は、隣部屋の閨の睦言がまるまる筒抜けになるくらいに薄っぺらい」という表現がありますが、初稿ではこれは「安普請の長屋は、壁に向けて鉄砲を撃ったら軽く二部屋は弾が突き抜けそうなくらいに薄っぺらい板壁で仕切られている」という文にしていました。
これは何かというと、アメリカ南部に「ショットガン・ハウス」という住宅様式があって、それは「玄関のドアをショットガンで撃つと、銃弾が各部屋を貫通して裏口まで穴が開くくらい安普請」という由来からそういう名前になった(諸説あり)らしいんです。この話を昔に聞いた時、安普請の例えとしてすげえアメリカっぽくて豪快で面白いなぁと思って、それで今回、長屋の壁の薄さを表現する例えとしてお遊びで使ってみたわけです。
当然のことながら編集者様から修正すべきとの指摘が入り、「デスヨネー」と黙って直しました。