執筆のきっかけ
前作に引き続き、本作も大河ドラマ「どうする家康」に便乗すべく、徳川家康に関する小説を書こうというところから検討をスタートしています。
例によって狙うは「誰もが知っている人物・時代を、誰も知らない視点から描く」スタイルで、じゃあ家康の人生の中で一番面白い時代はどこだろう? と考えていった時に、私の頭に浮かんだのが小牧・長久手の戦いでした。
私が小牧・長久手の戦いを知ったのはゲームの「信長の野望」です。
このゲームでは様々な時代のシナリオを選べますが、その中で一番面白いなと思ったシナリオが「小牧・長久手」だったんです。
最初の頃の時代はどの大名も小粒すぎて面白くなく、中盤は織田が強すぎて、終盤は豊臣が強すぎてゲームバランスが悪い。そんな中、大名たちの力が拮抗していて誰が天下を取ってもおかしくなく、しかも脂の乗りきった全盛期の武将たちがたくさん出てくるという、一番バランスが絶妙なシナリオが「小牧・長久手」でした。
そこから「どうやら小牧・長久手は面白そうだ」という興味が湧いて、その後、この時期の出来事を扱った三谷幸喜さんの小説「清須会議」を読んで、拮抗する力関係の面白さと、その中でどうやって主導権を取るかという駆け引きの奥深さに引き込まれました。
かくして、私は「真の天下分け目は関ケ原ではなく小牧・長久手である」という確信を得るに至り、家康が出てくる小説の2作目を書くにあたって題材を小牧・長久手とすることは、割と迷いなく決まりました。
裏話
あとがきでも書いたのですが、過去6作で本作が一番、史料集めと史実との整合性合わせに苦戦しております。大学で日本史を研究されているつちかわかけるさんのお力も借りてまとめた設定資料集のPDFはいまでも思い出深いものです。
私はこれまで、一風変わった視点から歴史を描くというスタイルで書き続けてきて、主人公の多くは裏方の目立たない人物でした。
そんな私が、秀吉と家康という、超メジャー級の歴史上の人物を主人公に据えるのは本作が初めてのことでして、正直最初のうちは「私ごときが秀吉と家康を?」と自分で自分を笑ってしまいたくなるような思いがありました。
言うなれば本作は、変化球の多彩さを武器にして戦ってきたピッチャーである私が、初めて速球で打者と真っ向勝負をしてみたようなものです。
秀吉も家康も誰もがよく知る人物ですから、勉強不足だとすぐにボロが出ます。それだけに書くためには強烈な覚悟と万全の準備が必要で、本作は自分にとって、これまでの5作で蓄積した歴史小説の経験と技術をすべて駆使した、集大成ともいえるものでした。
それだけに、本作を書ききった時に私は「だっしゃああ!」と一人で雄叫びを上げました。
数多の小説家たちが題材に取り上げ、すっかり手垢のついてしまっている秀吉と家康という偉大すぎる人物を、自分も小説に書くことができた。それが世間からどう評価されるかは別として、とにかく自分なりの唯一無二の解釈を示すことができた。
その経験は今でも自分にとって、かけがえのない財産となっています。
そんなわけで、私は本作を自分の歴史小説の中の最高傑作だと思っているのですが、そのせいで逆に、私はこの後「本作を超える歴史小説を書ける気がしない」という燃え尽き症候群に陥ることになります。
また、根っからの変化球投手である私がストレートの速球で勝負することの難しさも、これでもかというくらいに痛感させられることとなりました。そういった顛末も含めて、本当に思い入れの深い小説です。
小ネタ
大河ドラマ「どうする家康」の波及効果を狙った小説ですので、小ネタもどストレートです。
120ページの家康のセリフ「さて、どうする秀吉」ですね。わざと入れました。