ダメ親のすすめ 第11回

第11回:子供を放置してパチンコに行く無責任な親

大したプランもなく、行き当たりばったりで書き始めたこのお気楽子育てブログ「ダメ親のすすめ」も、なんともう11回となりました。

いや~。書き始めた時はせいぜい5回分くらいしかネタを用意してなかったんですが、書いているうちにあれも何か変だな、これもちょっとおかしいぞ、と思うようになってきて、気がついたら倍以上の回数になってました。ホント子育てを巡る社会の目って不当に厳しくて不当に理想主義的で、でも全然助けてはくれない、実に無責任なものです。我々親たちは、こんな理不尽な社会の目に負けちゃいけません。

「昔はみんなそうだった」 うるせえ!
「最近の親は甘えている」 黙れ!そう決め付けて優越感に浸りたいだけだろお前!
「親のモラルの低下が不安」 そりゃそーだこんなクソ過ぎる状況じゃ誰もモラル保てんわ!

さぁ、あなたも今日から、自分はダメ親だと開き直ってアホな社会の目から楽になりませんか?

さて、そんなわけで第11回目の今回取り上げるのはこの言葉

「子供を放置してパチンコに行く無責任な親」です。

これだけ何度も痛ましい事件が起きてニュースで報道されているというのに、親が車の中に子供を放置してパチンコに行き、その間に子供が脱水症状で亡くなるという事件は、未だに後を絶ちません。
窓を締め切った車の中が死ぬほど暑くなるのなんて、普通に考えりゃ簡単に分かるだろ!アホか!とこの手のニュースを見るたびに私は信じられない気持ち、怒り、悲しみ、絶望を感じます。ホント親失格ですよこんなの。

それなのになぜ、今回私はこの言葉を「ダメ親のすすめ」のテーマとして挙げたのでしょうか?こういう無責任な親に対して怒りを覚える事に、一体何の問題があるのでしょうか?

私がこの言葉に感じる狂気は、明らかに無責任な行動に、よってたかって「無責任な奴だ!懲らしめろ!」と正義を振りかざして全員でボッコボコにするその心理なんです。もちろん人間の心情として怒りを感じる事は当然です。子供を車中に放置してパチンコ行って脱水死させるなんて、そりゃボッコボコに批判されても何の言い訳もできないような、明らかに悪い行動です。

でも、じゃぁそういう「悪い親」が出るたびに徹底的に批判して、「こういう親はいけませんねー、みなさんはこんな風にならないようにしましょうねー」と世の一般的な親たちに反省を促して、それでこういう痛ましい事件は無くなりますか?

無くならないですよね。
無くなるわけないですよ。その程度で反省して行動変えるくらいの人だったら、そもそもこんなアホな事しません。

子供を車中に放置してパチンコに行くなんて事ができてしまうほど、子供への愛情が乾いてしまった親。
なぜその親は、ここまで子供への愛情が乾いてしまったのか?家族や周囲の人達はなぜ気付けなかったのか?なぜ止められなかったのか?そこには絶対に何か深刻な事情があるはずなんです。その深刻な事情を解決しない限り、こんな事件が無くなる事はないんです。

そういう細かい点には目を向けず、安直に「あぁいう無責任な親にはなっちゃいけないよね、大丈夫だと思うけどあなたも気をつけなさいよ」などと反面教師にする。その心理の奥底にはどこか「ウチはあんな無責任な親とは違う」と見下す気持ちと、それによって得られる「ウチは責任持って頑張ってる」という薄っぺらい優越感があると思うんです。

これって完全に、ブルーハーツの曲「TRAIN-TRAIN」の歌詞
「弱いものたちが夕暮れ さらに弱いものをたたく」
の状態だよなぁ、と私はどうしても思ってしまうんですね。

いや正直、子育てなんて本来集団でやるべきものだと私は思っていて、これ一人でやってたら無茶苦茶ストレス溜まりますよ。あと視野がとても狭くなります。

時々気晴らしも必要だし、子供が生まれる前の趣味がパチンコの人だったら、そりゃ時々パチンコも打ちたくなるでしょうよ。
それは私が育児の合間に趣味のピアノを弾きたくなるのと性質としては全く一緒で、もし今私がピアノを弾くなと言われたらストレスを感じるのと同じように、パチンコが趣味の人がパチンコできなかったら、それはストレス溜まるはずなんです。

「幼い子供がいるのにパチンコ行くなんて教育上良くない」という主張はごもっともだし、まぁパチンコというかギャンブル全般なんて、やらないで済むならやらないに越したことはない。でも、そう言える人ってたまたま性格的にギャンブルが肌に合わず、そもそもギャンブルやらなくても我慢できる人なんですよね。

例えばこれが「アルコール臭い息は子供の体に毒なので、子供が大きくなるまで酒を飲むな」という主張だったら、その無茶さを実感してくれる人が少しは増えるでしょうか?

そりゃ確かに、子供の前では責任ある親の姿を見せたいとは思うけど、かといって、「教育上よくない」の理由だけで大人の楽しみを何年も完全に我慢できますか?
無理でしょ?
それくらい許してやれよ、人間少しくらい遊びたい時もあるって。
こっちで子供は面倒見といてあげるから、子供にはバレないように、時々こっそり息抜きしてこいよ。

そういうユルい意識が広がるだけで、少なくとも子供を車内に放置してまでパチンコをするような追い詰められた親は減らせるんじゃないかなぁ、と私は思うのです。

それに「親は常に子の模範であるべき!」と常に身構えて無駄にストレス溜めて、それでイライラして子供に当り散らすくらいなら、「多少はまぁ、しょうがないか」と肩の力抜いてストレス溜めないほうが、子供への当たりは確実に優しくなるし、トータルでは絶対子供のためになると私は信じています。

次回予告:
世界じゅ~う どこだぁ~って 笑いーあ~りー涙ーあ~りー
あなたは子供の頃「こどもの世界」という歌を歌いませんでしたか?
私はあの歌に、日本の子育てに関する病理の全てが象徴されていると思っています。あの名曲からなぜそんな事を思うのか?その理由を次回「こどもの世界」で解説します。

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