舞台裏「討ち入りたくない内蔵助」

執筆のきっかけ
 デビュー作「あの日、松の廊下で」の打ち合わせで文芸社様をお訪ねした際に、「この作品で大石内蔵助は一度も出てきませんでしたが、今度は白蔵さんが描く忠臣蔵も見てみたいですね」と言われ、じゃあ書いてみるかと考えたのが、本作を書いたきっかけでした。それまで私は独りで小説を書いていて、自分が興味を持った題材した書いたことがなかったので、他の人の言葉を受けて、それまでまったく知らなかったテーマで小説を書いたのは本作が初めてのことです。
 ですが私、実は忠臣蔵をテレビで通しで見たことが一度もありません。
「あの日、松の廊下で」の舞台裏に書いたとおり、あの小説で私が書きたかったのは会社での自分の実体験であり、それを書くのにたまたま松の廊下という舞台装置が便利だったから忠臣蔵の話にしただけなので、私は忠臣蔵が別に好きなわけでは決してない――というか、そもそも見たことがないので、好きも嫌いもない状態なわけです。
「忠臣蔵を一度も見たことのない人間が、忠臣蔵をゼロから調べて小説を書く」という、忠臣蔵を題材にした数多の作品の中では、たぶんかなり珍しい経緯を辿って成立したのが本作です。

裏話
 私にはテレビドラマや映画で描かれた忠臣蔵の情報が一切なく、触れたのは史料のほうが先だったのですが、先入観が一つもない状態で構想を始められたのは逆に良かったのかな、といまになって思います。
 史料を調べていてまず感じたのは「大石内蔵助って、最後の最後まで戦いを避けようとしてたんだな」ということでした。浅野内匠頭の弟が預かりになって浅野家再興の望みが断たれるまで、彼は一貫して討ち入りには消極派で、待て待てと浪士たちを抑えることばかりしています。
「なんだ、この人はもし浅野家が再興されていたら、別に討ち入りはしなくてもよかったんだ」と思った時、大石内蔵助は本音では討ち入りをしたくなかった、という本作の基本コンセプトが生まれました。
 このような「討ち入りたくない内蔵助」は実は私が初めてではなく、1990年に、討ち入りに消極的という異色の大石内蔵助をビートたけしが演じた忠臣蔵のテレビドラマがあります。参考としてそれも見てみようとしたのですが、さすがに古すぎてどこにも売っておらず、再生するビデオデッキもないので断念しました。
 もしそれを入手して見ることができていたら、影響を受けてひょっとしたら本作のテイストも少し違ったものになっていたかもしれません。

小ネタ
 本作は「あの日、松の廊下で」がまだ校正作業の真っ最中で、タイトルがまだ元の「松の廊下でつかまえて」だった頃に書き始めています。1作目のタイトルが「ライ麦畑でつかまえて」のパロディだったことから、2作目もパロディで揃えようということで、本作の最初のタイトルは「大石内蔵助は討ち入りの夢を見るか」(「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のもじり)でした。その後、1作目のタイトル変更に伴い、こちらも無難なタイトルに変更しております。
 本作に仕込んだ小ネタとしては、「八.元禄十四年十一月十日(討ち入りの一年一か月前)」の102ページ、第一次江戸会議の時に、討ち入り推進派が大石内蔵助の臆病さを笑うセリフがあります。

「そういえば大石殿のお顔も、いつの間にやら鮒に似てまいったな。おうおう、そのように力んだ所は鮒そのままじゃ……鮒だ、鮒だ、鮒侍だ、ハハハハハ」

 この鮒侍という悪口は、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」で、吉良上野介が浅野内匠頭をバカにする時に使う言葉です。誰もツッコミを入れてくれなかったので、ここで解説して供養しておきます。
 で、なんで忠臣蔵を一度も見たことがない私がこの言葉を知っているかというと、はるか昔に読んだ椎名高志の「GS美神 極楽大作戦」という漫画のある一コマの背景に、書き文字で「このイモ侍っフナ侍ーっ」って小さく書いてあったのを見て、このフナ侍って面白い言い回しだけど何か元ネタがあるんだろうか? と気になって調べたことがあったからです。
 いやー。人間、なにげなく仕入れた豆知識がどこで何の役に立つかわからない。