第5回:イクメン
愛は育児を救わない。高邁な理想を押しつけるよりも、現実を楽にする手段をください。
意識低い系育児ブログ「ダメ親のすすめ」、第5回でとりあげるのはこの言葉
「イクメン」
です。2010年に流行語大賞ベスト10に選ばれた後も消える事なく生き残り、今やすっかり一般用語として社会に定着した感のある言葉です。さて私は、男性の育児参加の象徴とも言えるこの言葉のどこが気に食わないのでしょうか?
まず私は、この言葉には功罪の両方があると思っています。
例えば理想的な男性の育児参加のレベルを10だとした時、この「イクメン」という言葉は、今まで育児参加レベルがゼロだった人たちをレベル1に引き上げる程度の効果はあったと思っています。これが功の部分。
でもこの言葉には、今まで育児参加レベル2以上だった人をレベル10に引き上げる効果は全く無い上に、ゼロから1に引き上げた人たちに対しても、厄介な達成感を安易に植え付けてしまったという罪があると思っています。
私自身は育児参加レベルで言ったらおそらく2~3程度だと思いますが、正直他人から「イクメン」と言われたら「気持ち悪いからやめてくれ」と思います。 全く嬉しくありません。完全に私の偏見に基づく乱暴な決め付けですが、この言葉は非常に便利な「男の育児参加意欲の測定装置」だと私は勝手に思っていて、「イクメン」と言われて喜ぶやつほど育児参加意欲は低いと思います。
結婚前の女性で、将来彼氏がちゃんと育児手伝ってくれるかなー?と不安を感じている方は、一度彼氏に誰かの赤ん坊を抱かせてみたり、幼児の相手させたり して「なんだかイクメンっぽくてカッコいいよ」とおだててみたらいいと思います。そこで嬉しそうな顔をしたら望み薄、バツの悪そうな顔をしていたら望みがあります。
「イクメン」という言葉の何がいけないかって、「やって当然の事」を「やったら褒められる事」に変えてしまった事なんですね。
私は冷静に客観的に自分の家庭を見て、日本の共働き家庭において、家事・育児も含めた全体の労働負担はどう考えても女性の方が多すぎると感じました。専業主婦が当たり前の時代の家事分担の感覚が抜け切らないまま、共働きが当たり前の時代に突入してしまったので、仕事の配分に明らかな不公平が発生していると、少なくとも私の眼にはそう映ります。
片方の人がたくさん働いていて、もう片方がサボっているんだったら、そりゃ当然、サボってる方がたくさん働いている方の負担を受け取るよと自発的に申し出るのが当然であって、そんなのは褒められるような話では全くないはずです。
でもこの「イクメン」という言葉、今までサボってた人がほんの申し訳程度に手伝ったのを「よくやったね!お前超カッコいいよ!」とアホみたいにおだててるようにしか見えないんですよ私には。
これがまだ、例えば子供が熱出したら父親が率先してパッと会社休んで病院連れて行くとか、毎日の料理・食器洗いもオムツ替えも子供の入浴も嫁さんと完全に均等に分担してるとか、子供がギャン泣きしまくった時も毎回イラつかずに優しくフォローしてるとか、そこまで普通にこなしてる人を「イクメン」と認定してるんなら私もまぁ納得しますよ。
でも多分この「イクメン」という言葉、現状ではもっともっとショボい育児参加に対して使われてますよね。
週末ほんのちょっとだけ子供と遊んで、でも泥だらけの服を洗うのは嫁さんとか、自分の機嫌がよくて体力もあり余ってる時に、ふと気が向いたら家事の一つ でも手伝ってやろうとか、その程度でも現状では「お父さんイクメン!もっと頑張って!」と褒められ励まされ、さも素晴らしい事をしたかのようにプラスで加点になります。
嫁さんは厳しい減点法で社会から評価されるんですけどね。こんなチョロい話はないですね。
で、それを真に受けて「俺イクメンだし」と勘違いして、実は嫁さんのストレスを一層増やしてしまっている事に気づかないアホな父親を、この「イクメン」という薄っぺらい言葉が大量に生み出してしまっているのではないかと私は思うのです。
まず、育児を「手伝う」という意識を消せ!
おまえも当事者だろうが!!
嫁さんも自分も二人とも疲労困憊で倒れそう、今すぐ布団に横になって寝たい。でも子供が腹減らしてさっきからギャンギャン泣いている。もう一歩も動きたくないけど、でも仕方ねえな、今日は嫁に寝てもらって俺がミルクやるか・・・
これが「育児参加」だ!!
気が向いた時、自分に余裕がある時にだけ手を差し伸べるような育児参加なんて、クソの役にも立ちゃしねえ!そんなもんでドヤ顔すんな!!余計腹立つ!!
・・・私は男なので実際よく分かりませんが、たぶん世の母親達の不満ってこんなとこじゃないですか?
この「イクメン」という言葉が流行語になった2010年末、テレビでつるの剛士のコメントを聞いて「なるほどなー」と思った事があります。
この年、つるの剛士はイクメンの代名詞的存在として、あらゆるテレビで育児の様子などを好意的に紹介され、それこそ多くの人から何百回もイクメンだイクメンだと言われ続けていたわけですが、そんな彼が当時インタビューで「俺、自分が『イクメン』と呼ばれるの嫌なんですよ」って言っていたんですよね。
確か、「俺にとって育児は当たり前のことで、そんな『イクメン』とか特別に呼ばれるような立派な事をしているつもりはない。いずれイクメンという言葉が無いような世の中になればいいと思います」といった内容のコメントだったと思います。ホント、私も彼と全く同じ意見です。
私は単に、嫁さんの方が仕事が多くて大変そうに見えるのに、こっちがサボってたら何だか自分がダメ人間みたいで納得できないから、せめて平等になる程度まで労働のバランス取っているだけなんです。逆に嫁さんがサボってると思ったら私は普通に文句言うし。
それに、育児参加育児参加って言うけど、子供が苦手だったら別に無理して男性が育児手伝わなくてもいいと思うんですよね。育児は嫁さんに全部任せるけど、その代わり食事も片付けも洗濯も掃除も全部俺がやる、という分担の仕方だって十分アリだと思います。要は「労働負担が平等かどうか」なんです。
だから私は別に一方的に女性の肩を持つわけではなく、夫の会社が激務で毎日終電帰り・休日もほとんど出勤という状態で妻が専業主婦という家庭の方に、杓子定規に「夫も育児参加しろ」という尺度を当てはめるのも、今度は男性側に負担が大きすぎて問題があると思います。
(この時に問題になっているのは仕事の分担ではなく「会社が働かせすぎ」という別の分野の問題)
そこのバランスは各家庭で相談して両者が納得できるレベルに合わせればよくて、負担が平等であれば、後は分業してお互いが得意な分野で自分の役割を果たせばいい。
てなわけで私は「イクメンだね!さすが!」って褒められても「うわ、めんどくさいの来たなコレ!」だし、「上っ面だけ見て月並みな事言ってるなぁこの人」って不信感感じるんです。
そしてそういう人に「いや俺イクメンじゃねえし」って否定しても、どうせ「ずいぶん謙虚だね、嫁さん幸せだね」って言われるんで、もう価値観が全然噛み合わないんです。
ホント、「イクメン」という言葉が無いような世の中になる事を心から願っています。
次回予告:「子供が嫌がる事は楽しいゲームにしてしまいましょう」
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