ダメ親のすすめ 第1回

第1回:大切な赤ちゃんのために

一見まともそうに見えて実は狂気に満ちている、育児にまつわる様々な言葉を笑い飛ばし時に怒るブログ、「ダメ親のすすめ」。第一回で取り上げるのはこの言葉

「大切な赤ちゃんのために」

です。この言葉には、育児に関する社会の狂気が全て象徴されていると私は思っていて、第一回目に取り上げるテーマはやはりこの言葉しかありません。

それにしてもこの言葉、育児関係の記事や広告では比較的よく目にする言葉ですが、一体これのどこに問題があるのでしょうか?
私は、この言葉はとても有効な「信用できない人発見器」だと思っていて、この言葉が出た瞬間、以後その人の言う事は9割引くらいで聞き流すようにしています。

この言葉、例えば親御さん本人が使う分には私も全然嫌悪感無いんですよ。父親が「大切な赤ちゃんのために禁煙した」とか、そういう文脈ならいい。でも、これが医療系のブログ記事で「大切な赤ちゃんのために禁煙しましょう」となってると少しムッとくる。
今から宿題やろうと思っていた時に「宿題やりなさい。あなたの将来のためを思ってそう言ってるんですよ」と言われてやる気が無くなるという心理状態に近いかもしれません。

さらに、これが「大切な赤ちゃんのために〇〇サプリを飲みましょう」といった広告になると完全アウト。なぜなんでしょうか?

それは、この言葉に「子供を人質にとって親を意のままに操縦しようとする姿勢が見えるから」なんです。
「大切な赤ちゃんのために〇〇しよう」という言葉には、その裏返しでどこか「〇〇しない親は赤ちゃんを大切に思っていない」というニュアンスが入ります。

幼い子供を持つ親にとって最も辛い攻撃のひとつは、周囲から「お前には子供に対する愛がない」と言われたり思われたりすることです。これはかなり精神に来ます。
そしてこの「大切な赤ちゃんのために」という言葉は、ごく自然にこの攻撃をサラッと仕掛けてくるのです。

 「赤ちゃんは大切ですよね?」
 「はい。もちろん大切です。」

 「親は、赤ちゃんのためになる事をやってあげるべきですよね?」
 「はい。何でもやってあげたいです。」

 「これはとても赤ちゃんのためになる事です。ぜひやりましょう。」
 「(・・・本当にためになるのかな?)」

 「やらないんですか?赤ちゃんは大切ですよね?」
 「はい。もちろん大切です。」

という無限ループの問答でひたひたと迫ってくる圧迫感がこの言葉にはあります。

この問答がおかしいのは、親は「赤ちゃんのためになるのかならないのか?」という点を議論しているのに、そこに「愛」という親にとって一番痛い逃げ場のない部分を持ち出してきて「愛があるのかないのか?」という議論にすりかえてるところなんです。

「愛があるの?ないの?」と迫ってくる相手を、親が「いやこの議論に愛は関係ないでしょ」と斬り捨てるのは本当に難しいし、そこで言い方を誤ると、いとも簡単に「この親は子供を愛していない」という妙な結論に持っていかれかねません。

親を操ろうと思ったら、「愛」に訴えかけるのが一番楽勝です。

しかもこれ、迫ってくる本人は一見、子供を気遣うとても親切な人のように見えるのがさらに厄介。我々親は、愛の名の下に自分の意見を押し通そうとする狡猾な人を見分けて、徹底的に無視しなければなりません。
そして、それを見分けるための一番分かりやすいシグナルがこの「大切な赤ちゃんのために」という言葉だと私は思うんです。

親なんだから、赤ちゃんが大切なのは当然。
部外者のあなたが、そこをわざわざ強調してくる意味がわからない。

もし親を操ろうと思って、狙ってそういう言葉を使っていたとしたら論外。
そういう意図ではなく、単純な善意からそういう言葉を使っていたとしたら
「あぁこの人天然だ・・・『愛って素晴らしい』で思考停止しちゃってる面倒な人だ・・・関わると厄介だから距離置こう・・・」と遠い目になります。

育児にまつわる今の日本の雰囲気って色々と歪んでいるなぁと私は思うのですが、中でも私が一番根本的な問題だと思っているのが、この「大切な赤ちゃんのために」という言葉に象徴される

問題点をうやむやにして、「愛」で全てを解決させようとする点

です。問題の本質は「時間がない」「余裕がない」「援助がない」という所にあるのに、なぜか「愛情がない」の一言で全て親の責任にされてしまう。育児関係の話を見ていると、そんな事例を本当によく見かけます。そりゃ少子化になりますよ。

次回予告:「母乳は完全栄養食です

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