第10回:3歳まではお母さんと一緒に(後編)
さて、前回は「3歳児神話」について私の考えを書きました。
3歳児神話について考える時「3歳児神話は科学的に正しいか正しくないか」について議論するのは幼児教育や脳科学の専門家の仕事です。我々は専門家ではないので、実は「正しいか正しくないか」はそれほど問題ではありません。
なぜなら3歳児神話を崇拝する人は、科学的に正しかろうが正しくなかろうが、最後は「でも何だかんだ言って母親の愛は最後に物を言うよ」などといった、感覚的なフワフワした説明で力強く3歳児神話を支持してしまうからです。
残念ながら現代の科学はまだ、この3歳児神話を科学的に全くのデタラメだと言い切れる所までは達しておりません。それを良いことに3歳児神話を崇拝する人たちは、自分が美しいと信じる「不自然に美しすぎる理想」をグイグイと押し付けてくる傾向があります。
そういう意見に流されて苦しまないために大事なのは「あなたも感覚で考える事」。
「正しい事をやろう」ではなく「自分が良いと思う事をやろう」と考える事です。
これは完全に私の独断と偏見ですが、3歳児神話に懐疑的な人は比較的おとなしく、3歳児神話を信じている人は見境なく自分の意見を強引に押し付けてくる人が多いように思います。そのため、何となくそっちの方が信念のある意見、世の中の常識、正しい事のように見えてしまいがちで、3歳児神話に懐疑的な人はどうしても悩みが多くなります。
ですので私は、皆様がこの問題を考える際に少しでも助けになればと思い、以下、「私が」自分の眼で社会と自分の息子を見て感じたこと、そこから考えた、子供達に与えてやりたいと思った育て方について書いてみたいと思います。
もちろん科学的根拠など何も無い、独善的な私の直観です。
これが正しいとは言いません。でも、それを言ったら3歳児神話の信憑性だって大概なもんです。ただ、こういう考えもあるんだなぁと思って頂き、あなたが自分自身で考える際の判断材料のひとつにしてもらえたら幸いです。
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そもそも「子供の面倒を親が見る」という文化自体が、せいぜい高度成長期以降の50年間程度で定着した非常に新しい習慣だと思うんです私は。
もちろん新生児のうちは親が面倒見ないと子供は死んでしまうけど、四六時中つきっきりになるのはせいぜい1歳、立って歩けるくらいまでで、その後はもう子供って親の手を離れて、より年上の子供が面倒見るようになってたんじゃないかなぁと思うんですね。
ちゃんと資料を調べたわけでは無いんですが、まず私がイメージする典型的な昔の生活って「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」ってやつです。昼は男は山や畑に野良仕事、女は川に炊事洗濯に出かけます。
で、仕事ができるほどの年齢に達していない子供たちは、村の中で一箇所に集められて、ある程度年齢の高い子がリーダーになって下の子の面倒を見て、勝手に集団を作って一日中遊んでいる。あと、昔のドラマ「おしん」でもそうですが、奉公に出された幼い子がまず第一に与えられる仕事は「子守り」。まともな労働力としてはまだ期待できない幼い子供でも、唯一できた仕事が「子守り」です。
つまり「子供の面倒を見るのは子供」という感覚がごく当たり前だったんじゃないかと思うんです。
そもそも、洗濯機も掃除機もコンロも電子レンジも冷蔵庫もあって、これだけ家事が楽になったはずの現代社会の女性が子育てと家事の両立にこれだけ苦労してんのに、薪でご飯を炊いて川まで行って洗濯板で洗濯をしていた昔の女性が、3歳までつきっきりで子育てしながら家事するなんて絶対無理だったと思うんですよね。
それに個人的な感覚として、「親だけで子供の面倒を見る」という体制が維持できるのは子供3人が上限です。4人以上になったらどうしても「上の子が下の子の面倒を見る」という体制にしないと絶対に回らない。昔は多産多死で兄弟5人以上なんて家庭が普通にありましたし、隣近所の結びつきは現代とは比べ物にならないほど強かったはずなので、そりゃ当然
「お兄ちゃんは下の子危なくないようにちゃんと見ててね、ホラ隣の○○ちゃん達と一緒にみんなで外で遊んでらっしゃい。日が暮れる前には帰ってくるのよ!」
って送り出して昼間は完全放置してたと思うんですよ。こういう昔ながらの日本の村落の姿って何となくイメージしやすいですよね。
で、そういうのをひとしきり想像した後で、「3歳までは母親と一緒に」という「美しい」説をもう一度思い出してみて下さい。
全然美しくねえじゃん!!
むしろ子供を手放すほうが「古き良き日本の美しい姿」じゃん!!
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確かに、初めて保育園に子どもを預ける時ってどの子も寂しそうにするし、うちの保育園に来る1歳くらいの女の子は毎日必ず「行きたくない、嫌だ」と絶叫していて、こんなに毎日泣かれたら母親だったら精神的に重いだろうなぁ、大変だなぁと傍から見ていても思います。
3歳児神話が根強く残っているのも、母を求めて泣き叫ぶ子どもの姿を見ると「ここまで嫌がる子どもに無理やり寂しい思いをさせたら、きっと何か心の傷を残してしまっているんじゃないか?」と思ってしまう優しい親心が一つの原因だと思います。
そんな優しいあなたには、3歳児神話をクリアした後の3歳からスタートする、幼稚園に通う子ども達の様子を見て頂くのが一番よろしいかと思います。簡単な事です。
「幼稚園 嫌がる 泣く」
で検索するだけです。
ハッキリ言って、1歳で預けようが3歳で預けようが一緒です。
親と離れるのが寂しい子は、1歳だろうが3歳だろうがギャンギャン泣くんですよ。年齢関係ない。だからあんまり3歳にこだわる事もないし、「寂しい思いをさせて心の傷を与えたくない」というのが保育園に入れるのをためらう理由なんだとしたら、保育園どころか幼稚園も行かせられるか微妙です。
でも、保育園に入れるのはためらうけど、幼稚園に入れるのをためらう人ってあまりいないと思いませんか?
私は、ここに結構大きなポイントがあると思っています。
1歳から保育園に預けるのをためらう時、「1歳という幼い子どもに寂しい思いをさせて心の傷を与えたくない」というのが表向きの理由だけど、3歳でも結局寂しがるんです。でも「3歳という幼い子どもに寂しい思いをさせて心の傷を与えたくない」と言って幼稚園に行かせない人はほとんどいない。それって
「幼稚園の方が教育機関として格上で、保育園は格下」
だと思っていて、それが真の理由なんじゃないですか?って事です。
だとしたら、ふざけんなコノヤロウって話です。
私は自分の子を保育園に預けて、保育参観も見て、保育園で習った歌や踊りを息子が家で披露するのを見て、さすがプロは違う!と感じました。
私と嫁だけでは、こんなにたくさんの歌も教えられなかったし、絵本も読ませてあげられなかった。またお友達と一緒に過ごして社会性を身につけさせる事もできなかったはずです。
うちは幼稚園に預けた経験はないので、ひょっとしたら幼稚園の方が「高度な教育」が受けられるのかもしれませんが、「高度な教育」って何?って話で、私個人としては保育園が息子にやってくれている教育に大満足していますし、むしろ3歳から一日4時間という幼稚園の保育期間は、他人と一緒に過ごして社会性を育てる上では遅すぎるし全然時間が足りないのではないのか?と私の目には映ります。
ただ、そんなのは私が抱いた勝手な印象なので、どれが正しいのかなんて分かりません。ここで私が言いたいのは、幼稚園と保育園のどっちが優れているか?という事ではなく、その二つは安易に優劣をつけられるようなものではないから、少なくとも保育園の方が幼稚園より劣っている(とかその逆とか)という一方的な決めつけはないんじゃないか?という事です。そしてその決めつけを「3歳より前に母親から引き離すと悪影響が出る」とかいう意味不明な説を使ってさりげなく裏付け強化しようとしてんじゃないよバカ野郎、ということです。
以前、ツイッター上である方から「昔は保育園に子どもを預けるのは問題のある家庭が多かったんで、そのイメージがあるんです」というご指摘を頂き、なるほどなと思いました。専業主婦が一般的だった時代は(実際はそうでなくても)「共働き=金に困っている家庭=保育園に預けるのは寂しいかわいそうな子」というイメージだったんですね。
でも、今は違いますよ。時代は変わるんです。
周囲の人から「3歳までは母親が一緒に」と言われたら、その言葉がどういう背景と先入観から出てきた言葉なのかを想像してみたらよいと思います。
それだけでもだいぶ「自分は子どもを愛していないダメ親なんじゃないか?」などと悩む事を減らして、少しは気が楽になれるのではないでしょうか。
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