ダメ親のすすめ 第12回

第12回:こどもの世界

「ダメ親のすすめ」第12回目の今回は、いつもとはちょっと趣向を変えて、ある歌について書いてみたいと思います。
この歌には、日本の子育てを取り巻くちょっと歪んだ精神構造がとても分かりやすい形で現れていて、この歌について考える事で、我々が子育て中に感じる息苦しさの理由に少しだけ近づける気がするのです。その歌とは、子供の頃誰もが歌ったと思うこどもの世界(It’s a small world)です。自分が幼稚園くらいの頃の記憶ってあまり残っていないのですが、私はこの「こどもの世界(It’s a small world)」という歌が大嫌いだったのだけははっきりと覚えています。なぜ嫌いだったのかも非常によく覚えていて、「子供たちだけの平和な夢の世界」という歌の趣旨が私にはどうしても納得できず、幼いながらにすげえうさん臭いなと思ったんですね。

だから私は、ディズニーランドのアトラクション「It’s a small world」も幼い頃から嫌いでした。

ところがここ数年、ホンダの車のCMで「It’s a small world」の英語の歌が使われていて、それを聞きながら、実は英語の原曲はちょっとニュアンスが違うのではないか?と感じて、英語のオリジナルの歌詞を調べてみて愕然としたんです。その歌詞がこちら。

1番

It’s a world of laughter, A world of tears
(ここは笑顔の世界でもあり、涙の世界でもある)
It’s a world of hopes, And a world of fears
(ここは希望の世界でもあり、そして恐怖の世界でもある)
There’s so much that we share That it’s time we’re aware
(私達が分け合える物はたくさんあるよ。今こそ気づく時さ)
It’s a small world after all
(結局のところ、世界は小さいんだと)
 
(※)
It’s a small world after all(結局のところ、世界は小さいんだ)
It’s a small world after all(結局のところ、世界は小さいんだ)
It’s a small world after all(結局のところ、世界は小さいんだ)

It’s a small, small world (小さな、小さな、世界)

2番

There is just one moon, And one golden sun
(月は1つしかないし、そして金色の太陽もひとつ)
And a smile means friendship to ev’ryone
(そして笑顔が示してくれるのさ、みんなの友情を)
Though the mountains divide, And the oceans are wide
(たとえ山脈で隔てられようとも、海は広くとも)
It’s a small world after all
(結局のところ、世界は小さいのさ)
 

(※くりかえし)

・・・あれ?

「こどもの世界」って、「こども」一切出てこないじゃん!?

この歌って日本だと幼い子供の事を歌ってるイメージだけど、むしろ英語の歌詞で描かれているのって、恐怖を克服し悲しみを乗り越え、世界狭しと飛び回る、優しさと勇気に満ち溢れたタフな大人たちの力強い姿だよな?

この歌詞が伝えようとしているのは「世界は広いように見えるけど、実は狭いんだ。力を合わせれば俺達はもっともっとスゴイ事ができるはず!」という前向きな向上心や挑戦心であって、こども全然関係ないよなコレ?小さいのは「世界」であって「人間」じゃない、っつーかコレ、どうみても「人間の大きさ」を歌った歌だよな・・・?

では、今度は日本語の歌詞を見てみましょう。

・・・と、この時私は正直愕然としたんですが、まず、私自身いつの間にか完全に混同していたのですが「It’s a small world」の日本語版には「小さな世界」と「こどもの世界」の2種類があります。まずは「小さな世界」の方から見てみましょう。

1番

世界中どこだって 笑いあり涙あり
みんなそれぞれ助け合う 小さな世界
 
(※)
世界はせまい 世界は同じ

世界はまるい ただひとつ

2番

世界中誰だって 微笑めば仲良しさ
みんな輪になり手をつなごう 小さな世界
 

(※くりかえし)

・・・うーん。

まぁ 確かにオリジナル歌詞のニュアンスは多少残ってますが、元歌詞が備えていた「力を合わせて大きな事を成し遂げよう」「俺たちならできるさ」的な力強いメッセージ性はかなり消失し ているように思います。そして「世界平和」と「人類の連帯」というメッセージの方がより前面に出てきているような印象です。

そしてこの歌詞も、よくよく読んでみると実は、こどもは全く出てきません。

でもなぜかこの歌、「こどもの素晴らしさを歌っている歌」というイメージがとても強いですよね。その理由は「こどもの世界」の方にあります。それでは今度は「こどもの世界」の歌詞いってみましょう。

1番

おとぎ話のような 素敵なこの世界は
虹の橋を渡っていく 子どもの世界
 
(※)
素敵な世界 素敵な世界

素敵な世界 子どもの世界

2番

いじめっ子怒りんぼ 泣きむしに笑いむし
手をつないでかけていこう 子どもの世界
 

(※くりかえし)

原曲のニュアンス、跡形もねえ。


なんだこれは。なんだか気持ち悪いぞコレは。

原曲を完全に無視した上に、その内容は「子どもの純粋性」を盲目的に賛美し、それが「素敵な世界」だと連呼するもので、何となく思考停止と洗脳の香りがします。直感的になんか気色悪い。(そんな風に感じるのは心の汚れた私だけか・・・?)

私の感覚では、この歌は完全に子供に媚びへつらっていて、しかも実はその底に「多分こんなの作っとけば子供の情操教育に良いだろう」などと子供を舐めてかかった安直な考えがあるとしか思えません。

事実として、幼稚園の頃の私はこの歌詞をうさん臭いと思ったわけで、子供はちゃんと分かっているものです。

で、ここからが私の本題なのですが、この歌に端的に現れているような「子供の純粋性をやたらと賛美する風潮」ってなぜか昔から根強くて、私はどうしてもそれが好きになれないんです。

子供は大人のように心が汚れていない純粋無垢な存在だから、子供の世界は美しいものに満ちあふれ、みんな仲良く戦争もない。

 んなことあるかーい!!

子供の世界なんて、大人以上にえげつない、万人の万人に対する闘争が日々繰り広げられるカオスなバトルロワイヤルですよ。

おもちゃを取った取られた。○○ちゃんにぶったぶたれた。自分はちゃんと並んでたのにあいつに横から割り込まれた。あの子はおもちゃ買ってもらえたけど、自分は同じものを買ってもらえない。

社会性でオブラートされていない、剥き出しの暴力性、欲望、嫉妬。それがガチンコでぶつかり合うのが本当の「こどもの世界」であって、大人が国連平和維持軍のように間に入って緩衝材となり、全員が平和になる方向に誘導してやらなきゃすぐ大惨事になりますよ。

それを、子供たちの一体どこをどう見てれば「こどもの世界」みたいな歌詞が書けるのか。

もちろん、子供は純粋だという事自体を否定はしませんが、でもそれはあくまで子供という存在のある一面だけを切り取ったものであって、子供の全てではありません。

この作詞者は、子供そのものを見ているのではなく「こうあってほしい子供像」だけを無理矢理見てるんじゃないでしょうか。

悲しいかな、そうやって脳内だけで構築された「非実在聖幼児」と いう幻想が積み重なって、それがいつしか世間一般が抱く「子供」というものに対するイメージとして社会に定着してしまっているように私は感じます。サザエさんのタラちゃん、イクラちゃんなんてまさに非実在聖幼児ですね。あんな1歳児と3歳児が現実にいたら見てみたいです。

で、それの何がしんどいって、「子供は無垢な聖幼児である」という事はつまり

→悪さする子供は、親の教育が悪い
→親の教育が悪いと無垢な幼児の純粋な心が穢される

という発想になりやすいという事なんですね。これ正直親としては相当きつい。

でも実情は絶対に違うよ。1歳と4歳の幼児を毎日見てて思う。

全ての子供は、生まれながらに欲望に忠実なクソガキなんだよ。
それを親の教育で補正している最中で、それがまだ途中だからつい悪さしちゃうんだよ。

だから許してくれよ。多少クソガキでも仕方ないじゃないか。

世間の要求水準が高すぎるんだよ。俺も神じゃないし、息子も娘も聖幼児ではない。

不完全な人間なんだ。

もう少し気楽に子育てできる雰囲気だと、正直助かるんだけどなぁ・・・と思います。

さて、12回にわたって書いてきたこのブログですが、育児に関して疑問や怒りを覚える事について一通りツッコミを入れ終えたので、次回で一旦最終回にしたいと思います。最終回は「育児本」と「絵本」の話。育児関係は結構「役に立つ本」と「ダメな本」の落差が大きいような気がするので、私が読んでみて良かったと思うものをご紹介します。

次回予告:「読んでよかったこんな本(育児本編)」

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